ぱらり、頁をめくる音がする。
いつものように床に寝そべって何か本を読んでいるゲンさんを、私は黙ってみていた。 何を考えているのか、いやもしくは何も考えていないのか、ひたすらに無表情な横顔。 この数十分そんな顔しかみていなかったから、ふと彼が人間らしい表情をしたときはおや、と思った。
ずっとながめていたことには気付いていたのだろう。彼はこちらに視線を向けて呪文でも唱えるようにすらすらと言った。

「誰が駒鳥殺したの。」

はい?
一瞬きょとんとする私にはお構いなしで、なおも続ける。詩のようだった。内容はよく意味がわからなかった。鳥がいっぱい出てくることしか印象にない。
最後の一連を言い切って、彼はいつも私にそうするように穏やかな微笑で喉を鳴らした。

「マザーグースのひとつだよ。
原題は“Who Killed Cock Robin?”というんだ。」
「はあ。それがどうしたんですか?」
「これ、ほんとは英語の言葉遊びみたいなものだからね、
訳しちゃうと意味がなくなっちゃう場合もあるんだけど」

最後の一連覚えてる?空の小鳥たちはみんな、駒鳥の死を悼んで泣くんだ、悲しい話だね。 世界の終末でもみたという様子の諦め混じりの笑顔で、しかし嬉しそうに弾む声で言葉を紡ぐ。彼が何か考え事に夢中になっているときの特徴だ。

「けれど、」

声のトーンが下がり、弾んだ調子は柔和になる。

「駒鳥は悲しんでくれる小鳥たちがいて良かった」

私がいつか死んだら、悲しんでくれる誰かはいるだろうか。 自分が讃美歌を歌う、自分が棺を運ぶなどと言いはしないまでも、涙を流してくれる誰かは、いつ来るか、来ないかもしれない私の死の瞬間にはいるのだろうか。
そう言って端正に整った顔をにわかに曇らせた彼の肩を、私は何も言わずに抱いた。
目を閉じて慈しむように、この世の何よりも綺麗で濁りのない嘘を吐く。

「ゲンさんが死んだら私が泣いてあげる」

身体はそこに無くても、私が過去の人間になっていても。ゲンさんが私のことを忘れない限りあなたの意識のなかで泣いてあげる。
そう、と彼は安堵の声を漏らしたけれど、しばらく私は彼の肩を抱いたままでいた。

腕の中、清潔な香りをした髪を肌で感じながら、私はマザーグースの一節を変えて読む彼の声を遠くきいていた。



だれがこまどり
殺したの

(わたし、と死んだはずの駒鳥が言いました)


愚かな賢者”のしばらくあとの二人。前が生についてだったので今度は死について。
浴槽の人魚”がこれと別軸で同時に起きている話です。