私の命のともし火が静かに消えたとして、それを嘆く人間がどれだけいるのだろう。 トウガンさんとヒョウタくんぐらいは泣いてくれるだろうか。
あ、鋼鉄島の作業員さんも少しは悲しんでくれるかな。 そんなくだらないことをぼんやり考えるうち、意識は深く深くまどろみの底に沈んでいく。


ごぼ、ぶくぶく。吐き出される泡の音がくぐもって響く。
肺が、鼻が、冷たい水で満ちてゆき、ツンと鼻腔の奥が痛んだ。それすらもどうでもよくなって、重くなる体からゆっくり自我がはがれていくような気がした。ああ、これで楽になれる。薄く開いたままだった瞼を閉じて、この世に別れを告げようとしたときだった。

腕が抜けそうなぐらいの力で、私の体は引き上げられた。
息をするつもりはなかったけれど、体が本能的に酸素を求めて咳き込んだ。少々乱暴に冷たいタイルに寝かされて、入り込んだ水を吐かされる。 孔という孔から冷水を垂れ流す私は、どんなに無様だろうか。
ゆるゆると瞳を開くと、怒ったような、困ったような、複雑な顔をした少年がこちらを覗きこんでいた。


「何してるんですか。」


第一声がそれだった。 狭く薄暗いバスルームでは、やけに声が大きく聞こえる。やはり彼は怒っているらしい。
なにしてるんですか、と今度は細い声で言い、私の胸にそっと手を置いた。 その手がかたかたと震えていたので、濡れた自分のものを重ねると、私の頬にあたたかい何かがこぼれてすっと冷えた。
それが涙と気づくまでに少し時間を要し、なぜ君が泣くんだい、と言葉を発するまでにはさらにかかってしまった。

「どうしてこんなことするんですか、ほんとに何してるんですか、」
「何、って……。真夏の水風呂、かな」
「ふざけないでください」

心配したんです。誰に聞いてもしばらくゲンさんを見てないっていうから。
そう静かな声でぽつぽつ呟くように言う少年は、先ほどまでとは打って変わってひどく悲しそうな顔をしていた。
彼は穏やかでのんびりとしているようで、いやに鋭いところがある。私が生に縛られるのに飽き飽きしていることも、きっと彼には見抜かれていただろう。
やがて少年は喉をふるわせて嗚咽を上げ始めた。 どうして何も言わずに死んでしまおうとするのか、と私を責める。あなたはどこまでも勝手な人だ、と私の胸を叩く。

「ゲンさんがいなくなるなんて僕は嫌だ」

薄い体が私の上体に折り重なった。
しゃくりあげる声とともに揺れる体温が、濡れた布で覆われた私の肌にはじんわりとあたたかく、彼の命が私のそれにふれた気がした。急にどっと生きている実感がわいてきて、なんとも形容しがたいむず痒い気持ちになる。簡単に命を断とうとした自分への恥ずかしさや、それを叱ってくれる人への申し訳なさが、初めて感じられた。

彼が落ち着いたら、あまいココアを用意しよう。
どこかにしまいこんでしまったお茶菓子も引っぱり出して。
そして彼に謝らなくては。

(私が死んで悲しむ人間はどうやらもう一人いたらしい、)



浴槽の人魚

(永遠にめぐる季節を、君となら過ごしてみたい)


※普通に死にそうですけど、うちのゲンさんは死ねません
だれがこまどり殺したの”と別軸で同時に起きている話です。